第7編 「不平等な命」

第7編 「不平等な命」

開口一番、冗談の一つも交えず
救いようのない結論に至って申し訳ないが—


——命の価値は平等ではない


こんなことを言えば医療従事者や宗教家は
その明晰な頭脳や篤い信仰を注いで
大いに反論するだろう

あるいはたちは
両手もろてを上げて賛同するかもしれない

金や名誉、道徳に倫理、そして大切な人の命
あらゆるものの資金石として天秤にかけられ
その重さを語られる「命」だが
その実、あまりにも曖昧なものであるが故に
資金石としてのその役割は果たしかねる
というのが実際のところだろう

そんな尊く、そして曖昧なものでも
「全ての命は平等だ」という常套句が
語る者に映る世界を美しく彩り
自分を聖人の如く高尚な存在に飾り立てる
というのだから不思議なものだ

僕もまた命の大切さを否定するつもりはない
ただ、聞こえのいい言葉に浸るだけでは
単なる理想アイデア主義者リストだ—

天秤に掛けるならば
まずそのものの重みを知らなくてはならない

穏やかに漂う理想世界に
現実の重圧をかける
一命を賭して 一石を投じる
ここから語るのはそう言う話だ——



この世界に生きとし生けるもの
あらゆる生物はそれぞれ1つの命を宿している
これは心臓や脳の数の話ではなく、
生まれ落ちてから朽ち果てるまでの
生命活動としての命だ
どんな善人、あるいはどんな悪人であっても
一つの命があり、一度の人生がある
一度きりの人生がある
愛する者の不慮の死も
大罪人の極刑も
失われる命の数は等しく
その重み・・は平等だ
どれをとっても天秤は傾かず
1はあくまで1でしかない


しかし、その価値・・は平等ではない
——重みは平等でも、価値は平等ではない

命の価値は人によって異なる
誤解を恐れずに言わせてもらえば
価値のある人間と価値のない人間が存在する

これもまた道徳や倫理を
問われる表現かもしれないが—
良識ある皆様からのありがたいお言葉を
真摯に受け止め、
目を逸らさず耳を閉ざさず
口を開かせてもらうこととしよう—

そもそも、価値とは人が決めるものだ
世界にあらかじめ存在する絶対的な価値
などというものは存在しない
相対的な重要度の順列でしかない
そしてその価値は大きく2種類に分類できる

—社会的価値 と 主観的価値


社会的価値はいわば世の中全体から見た価値だ
大統領や企業の社長、俳優やスポーツ選手など
多くの人に重要視されている人たちで
言い換えれば、求める人の数が多い人間だ
みんなからの認識で成り立つこの価値は
民主主義的価値とも言えるだろう
世の中から必要とされる人間は
それだけ価値のある人間だということだ
逆に言えば—
誰からも評価されず誰にも影響を与えない、
世の中から必要とされていない人間は
社会的価値が低いと言っていいだろう
僕のように愛想も愛嬌もなく
ただ詭弁を垂れ流す人間はまさしく
その一人に数えられるだろうけど—

詰まるところ
世の中から必要とされるかどうかが
社会的価値を決めるわけだ


では主観的価値はどうだろう—
これは完全に自分視点での価値観だ
「自分にとってどれだけ重要か」
という、この一点に尽きる
家族や友人、恋人、恩師
世界から見れば何も特別でない
ごく普通の人間であっても
自分にとってかけがえのない存在ならば
その人は価値のある人間だということだ
我が子の命は、他の百の命よりも
天秤を傾けることだろう
逆については敢えて言及するまでもない
というか、想像もしたくない—
自分の価値の無さを想像したら
その重みまで失ってしまいそうだ—


さて、
こうして二つの価値を並べて比較して
語ってはみたものの
実は話はこれでは終わらない—
社会的価値と主観的価値
これらは本来、
横並びに語られるべきものではない—

人間誰しも自分の目で見て、
自分の耳で聞いて
自分の価値観で世界と接している
他者の経験など
想像することはできても
実感することはできない
俯瞰した見方も第三者の視点も
主観的に想像することしかできないのだ

察しのいい君ならもう理解できているだろう
先ほどの社会的価値も
所詮は主観的価値の集合体でしかないことを

社会的価値が高いと言える大統領にしても
それが重要な人間だと価値をつける個人が
たくさん集まって社会的価値を生み出している
主観的価値の総和が社会的価値と等号
オイラーも目を背けたくなるような
美しさも理想もない公式である—
まあ、オイラーの等式がなぜ美しいのかは
僕にはよくわからないけれど—
いずれにしても、この公式に則っていえば
どんな偉人や権力者にしても
一人ひとりから認められ必要とされることで
はじめてその価値が生まれるわけだ

—社会的価値がある人とは
—より多くの主観的価値を集めた人である



冒頭でてらったような導入をしておいて
結局のところ行き着く結論は
誰かの特別になれ—
人に愛されろ-
自分の価値観を大切にしろ—
なんていう陳腐なメッセージに落ちるのは
なかなか皮肉なものではあるが—

ただ、自分の価値観を否定することは
同時に誰かの存在価値を否定している
ということは忘れるべきではないだろう

人の命の価値を決めるのは
本人ではなく周囲の人間

僕の命にどれだけの価値があるかは
君次第とういわけだ—
もちろん、こんな詭弁に
まともに取りあってくれるならの話だけど—


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