第1編 「今日を偲ぶ」

第1編 「今日を偲ぶ」

——過ぎた時間より残る時間を数えるようになったのは
いったいいつからだったかの

不思議なものじゃ

毎日同じように時間は流れているはずなのに
鮮明に思い出せる日々と
ぽっかり穴の空いてしまった日々がある

それだけ充実した日々があったということなのか
あるいは、
何の意味もない日々があったということなのか まったく、虚しいものだと思わんか? 人生は過去、つまるところ記憶そのものじゃ 未来なんてのは想像でしかなく、妄想でしかなく どうしようもなく空想でしかない 思い出せることが現実で 思い出せないことは推測に過ぎぬ 思い出せない何気ない1日を 確かに生きていたなんて保証はどこにもない その前は生きていて、今も生きている だからきっとあの日も生きていたんだ、と そう考えるしかあるまい 空白の日々をなんとか辻褄をあわせて埋め合わせて そんなハリボテの記憶を指して人生と呼ぶのだから 滑稽もいいところじゃよ のぉ? ——君の今は思い出せる日々かね? 1年後、10年後、あるいは死に際になって 今日のことを思い出せるかね? 誰と過ごし 何に挑戦し 何に感動し 何を決意し 何が嬉しく 何が悔しく ——何を思い出せる日じゃったかの? 君の人生において今日は たしかに生きてた1日か あるいは、空白に抜け落ちる辻褄合わせの1日か 過去は変わらん 未来はわからん じゃが今は、未来の過去を変えられる 今日を君のたしかな1日にできるのは今日だけじゃよ 今日という日を忘れないでいられるか—— ただ、それだけじゃよ わしも多くのことを忘れてしまった それが大切なことだったのかさえも忘れてしまった 抜け落ちた記憶は 思い出せない記憶は もはや無かったのと同じことじゃ その日々は生きていなかったのと同じことじゃ ぽっかりと — 空白で — 空虚—— もしも君が今日を生きていたいなら 空っぽで真っ白なハリボテの人生が嫌なら こんな耄碌もうろくの詭弁だけでも心に留めておくことじゃな

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